andQの歯科と麻酔と諸々と

歯科麻酔医と言うニッチな歯医者が色々書きます。

オーラ注は8万分の1アドレナリン配合、ではない。

 この記事は、歯科関係者向けです。

 オーラ注は8万分の1アドレナリン配合、ではないです。
 だから何だと言われると、何でもないです。使い方が変わる訳でもないですし、極量もあまり変わりません。豆知識みたいなお話です。

 10年以上は昔だと思いますが、ある時偶然、インターネット上での2人の歯科医師の会話を見掛けました。
 
 「オーラ注は他の局所麻酔薬に比べてアドレナリンの量が2倍近いですが

 極量は半分ということになるのでしょうか?」
 「その通りです。オーラ注を使用する際はご注意ください。」

 

 私はずっこけた後、もしかして自分が間違っているのか!?と色々確認しました。回答した先生は日本歯科麻酔学会認定医(自称)でしたが、この回答は明らかに間違いです。本当はどうなのか、ざっくり考察していきましょう。今回はそんなニッチなお話です。
 前回も触れましたけど、一般歯科臨床において使用される局所麻酔薬はほとんどがリドカイン製剤です。それ以外使ったことがない、と言う先生も少なくないかも知れませんね。
 このリドカイン製剤、もう少し詳しく言うと「2%リドカイン塩酸塩製剤・アドレナリン配合局所麻酔薬」ですよね。
 えっ?配合か含有かどっちなんだって?
→そういう細かいことは置いておきましょう。
 えっ?アドレナリンではなくエピネフリンで習ったって?
→私もです。2006年の日本薬局方において、エピネフリンからアドレナリンに変更になりました。これに関してはややこしい話があるのですが、それは後述します。

 

 国内で販売されている歯科用局所麻酔カートリッジ製剤の成分を表にしてみました。

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歯科用局所麻酔カートリッジ製剤の成分表


 pH調節剤の「適量」って何ですかね……。適量って。レシピか。塩一つまみか。お好みか。いや、注目すべきポイントはそこじゃないです。
 ふむふむ、オーラ注以外はアドレナリンが0.025mg、オーラ注は0.045mg……なるほど2倍近い!!
 いやいやいや。容量にばかり気を取られずによく見ましょう。オーラ注に配合されているのはアドレナリンではなくアドレナリン酒石酸水素塩と言う化合物です。そもそも分子量が違うので、単純に容量を比較しても意味がありません。

 オーラ注だけ単純なアドレナリンではない

 なぜアドレナリンではなくアドレナリン酒石酸水素塩なのか?
 アドレナリン酒石酸水素塩はアドレナリンに比べて何の利点があるのか?
 それは……
 よく分かりません。
 

 オーラ注と他の2%リドカインカートリッジ製剤とを比較した研究では「(オーラ注の方が)臨床上優れた局所麻酔薬」と言うものもありますが、「遜色ない」「臨床上優劣をつけることはできない」と結論付けたものもあります。
 閑話休題、アドレナリンの分子量は約183.20、アドレナリン酒石酸水素塩は約333.29です。それぞれ計算してみると、

  オーラ注以外:0.0000225g÷183.20g/mol=0.00000012mol
  オーラ注:  0.000045g÷333.29g/mol=  0.00000014mol

 あんまり変わらない

 分かりにくいのでオーラ注のアドレナリン酒石酸水素塩の濃度をアドレナリンに換算すると
 1/73000
になります。
 オーラ注は1/73000アドレナリン配合の2%リドカイン製剤に相当すると言えます。他よりちょっと濃いくらいですね。1/73000=0.0000137なので、オーラ注のアドレナリン容量は1ml中0.0000137g=17.3µg、1.8mlなら24.66µgとなります。
 局所麻酔薬の極量は難しいところなんですが、口腔粘膜に注射して全身的な異常を起こさないアドレナリンの量が200~300µgと言われていますので、200µg未満に収まるカートリッジ(1.8ml)の本数を計算するならば

  オーラ注以外:200µg÷22.5µg≒8.89
  オーラ注:  200µg÷24.66µg≒8.11

となります。つまり、余裕をもって考えればどっちにしても8本まで!となる訳です。

 結局同じじゃん!!!!
と、言うわけで冒頭で申し上げた通り、

 だから何だと言われると、何でもないです。

 

 最後に、アドレナリンとエピネフリンのお話を。

 アドレナリンかエピネフリンか 
 どっちでも良いから統一してくれ。
 先述の通り、2006年の日本薬局方の改定で「エピネフリン」は「アドレナリン」に変更されました。日本人のヨーロッパの薬局方では(日本と違って)一貫して「アドレナリン」が採用されているそうですが、アメリカでは現在も「エピネフリン」です。

さすがポンド・ヤード法の国。

米国なのにメートルを使わない国。Going my wayか。
 アドレナリンかエピネフリンかと言う2択は、この物質の発見者は誰か、と言う論争から生じています。アドレナリンは1900年に日本人の高峰譲吉らによって初めて単離・精製されました。これは世界で初めて単離されたホルモンで、当時はホルモンと言う名称すらありませんでした。以前より副腎に昇圧作用のある物質が存在することは分かっていて、イギリスのMoore B、ドイツのFüirth O、アメリカのAbel Jなど当時の名だたる学者が競うように研究していました。高峰はアメリカで別の研究を行っていましたが、バークデービス社に雇用され、この研究レースに参加することになりました。研究は難航しましたが1899年に上中啓三を助手に迎えると、その翌年にウシの副腎から昇圧作用のある物質の単離・結晶化に成功し、ラテン語の副腎=adrenalからアドレナリンと名付けました。
 ここで話が終わっていればことは単純なのですが、アメリカにおける薬理学の権威であったAbelから物言いがつきます。Abelは前年の1899年にephinephrin(発表当時は末尾のeは無かった)を発表していたのです。しかし、Abelの発表した方法では純粋なアドレナリン(エピネフリン)が単離されてはいなかったため、Abelよりも高峰の功績が認められることになりました。
 ではなぜエピネフリンの名が復活したのでしょう。高峰の死後5年が経過した1927年、Science誌に掲載された回顧録で、Abelは高峰が自身の研究を盗用したことを匂わせたのです。1900年に高峰が研究室を訪れ、研究成果を詳しく調べ、改善点について質問して行ったと言う内容でした。バークデービス社は高峰の他にAbelの門下生も雇用し並行して研究させていたことで信憑性があったのか、アメリカ薬理学の始祖にして権威たるAbelのこの主張はアメリカ国内に大きな影響を与えたようで、現在に至るまでエピネフリンが正式名称になっています。恐らくは1927年当時、国際情勢的に排日感情も有ったのでしょう。
 ただ、高峰にも落ち度が有ったようです。アドレナリンについてしっかりした形で科学論文を発表しなかったらしいのです。その代わり(?)特許はすぐに申請し取得しています。その後高峰は三共株式会社(第一三共の前身)の社長に就任していますから、科学者としてだけでなく、商売人としての才覚も持ち合わせていたのでしょう。どちらも欠落している私としては羨ましい限りです。

 

参考文献:歯科麻酔学第8版,福島和昭ほか,医歯薬出版株式会社,2019

     歯科におけるくすりの使い方2019-2022,金子明寛他,

                                                                                    デンタルダイヤモンド社,2018

     アドレナリン発見の歴史が語る元気な科学者の在り方,齋藤繁ほか,麻酔,

                                                                                   2011,60,1331-1341

     世界に誇る日本の科学研究者⑥高峰譲吉,菅野富夫,医学の歩み,2003,207(2)

                                                                                   121-125

     局所麻酔剤の抜髄および口唇における麻酔効果に関する研究,目澤修二ほか,

                                                                                    歯薬療法,1996,15(1),12-16

     局所麻酔の麻酔効果における研究,塩野真ほか,歯薬療法,1999,18(3),97-103

     各局所麻酔製剤の添付文書

     その他孫引きの論文(忘れちゃいました)