アドレナリンは侮れなりん。
この記事は、歯科関係者向けです。
第1章 WILD RUSH
医療と言うものは、考えてみるとかなりワイルドなことをしているものです。特に歯科は外科処置が多く、英語で”dental surgery”と言われるくらいですよね。私は歯科麻酔を専門としており、静脈内鎮静法などを行いながら、少なく見積もって50名を超える先生方のインプラント手術や口腔外科手術を見てまいりました。そんな私の目撃した
「ワイルド過ぎる手術TOP3」を発表致します!!
まずは第3位!!ドラムロールスタート!!
ドロロロロロロロロロロロ……ドン!!
「上下顎15本抜歯と歯槽骨整形、両側下顎枝から骨採取してソケットプリザベーションとGBR」!!!!
上下の全顎に渡る大掛かりな手術を開業医で一遍にこなしてしまうワイルドさで3位にランクインです。
続いて第2位!!
ドロロロロロロロロロロロ……ドン!!
「歯肉の上からタービンでインプラント窩を形成」!!!!!!!!
フラップレスどころか切開レスです。侵襲は正に最小限、ミニマルインターベンションかも知れませんが、インプランターどころか通常のエンジンですらないのは実にワイルドですね。インプラント体のサイズに合わせて形成できる辺りに「手慣れている」感がありました。
いよいよ第1位!!
ドロロロロロロロロロロロ……ドン!!
「イミディエイト症例の抜歯窩をタービンで掻爬した上エタノールで消毒」!!!!!!!!!!!!!!!!
感染源を除去するためには手段を選ばない強い意志を感じさせます。驚異のワイルドぶりで1位に輝きました。
ワイルドなエピソードは他にもありますがそれはまた別の機会に。いったい何の話かと申しますと、歯科では侵襲の大きな処置が日常的に行われていながら、当の歯科医師は感覚が麻痺してそれが当たり前になりがちだと言うことです。上記のような極端なワイルドさではなくとも、日常臨床の中にもリスクは潜んでいます。今回はそんな日常のリスクから、局所麻酔薬に配合されているアドレナリンについて考察していきます。
第2章 もはや君なしじゃ始まらない
前回はオーラ注のアドレナリン(酒石酸水素塩)のお話、そこからアドレナリン発見の歴史までざっくり書きましたが、長い割にあまり役に立たない、豆知識のような内容でした。今回は、それに比べれば日常の臨床に役に立ちそうなお話だと思います。多分。
局所麻酔を行わない歯科医師は稀であるかと思います。日本全国で歯科用局所麻酔カートリッジは年間6000万本使用されていると言います。必要に応じてカートリッジになっていない局所麻酔薬を使用することもありますから、実際に使用されている局所麻酔薬はもっと多いはずです。ともあれ、圧倒的に使用頻度の高い2%リドカイン塩酸塩製剤・アドレナリン配合局所麻酔薬を含め、リドカイン+アドレナリンの組み合わせは極めて高頻度に使用されています。そして日常的に使用する故にそのリスクは忘れられがちですが、歯科診療における全身的偶発症の半数ほどは局所麻酔に関連して発生しています。
ご存じの通り、アドレナリンは交感神経系の緊張に従って副腎水質から分泌されるホルモンです。局所麻酔薬に配合される理由はいくつかありますが(表1)、局所において血管を収縮させることでリドカインの拡散を抑制し局所濃度を高く保ちます。
シタネストオクタプレシンやスキャンドネストなど、アドレナリンを配合していない局所麻酔薬を使用しての外科処置を経験されたことのある歯科医師やスタッフの方々は、出血量や術野の見難さでアドレナリンのありがたみを実感されているのではないでしょうか。作用の増強については実感しづらいかも知れませんが、アドレナリンを配合していないリドカインでは濃度を4%に上げても歯髄の麻酔成功率は80%に留まり、アドレナリンを配合すれば1%リドカインでも同程度以上の成功率となります。血流が多く痛覚が鋭い口腔内において無痛治療ができるのは、リドカインとアドレナリンの黄金タッグのおかげなのです。
このように歯科治療に欠かせない存在である局所麻酔薬のアドレナリンは歯肉に注射された後速やかに血液中に移行し、わずか数分で血中濃度はピークに達し30分程度高い濃度を保ちます。アドレナリンの大部分はCOMT、MAOによって代謝され半減期は1分程度ですが、一度血中濃度が上昇すると意外と下がらないのですね。血中に移行したアドレナリンが血圧や心拍数を上昇させることは、バイタルモニターを装着した状態で局所麻酔を行うと実感できます。カートリッジ1本分のアドレナリンを投与してもほとんど上がらないと言う研究結果もありますが、実は研究では歯肉に注射するのではなくアドレナリンを静脈投与していたりします。同じ量のアドレナリンを静脈投与するよりも歯肉に注射した方が循環動態に影響が大きいと言うことは口腔内に注射する精神的なストレスや疼痛も関わっていると思われますが、いずれにしてもカートリッジ2本の使用で収縮期血圧が5%、心拍数が10%程度上がると言われています。上昇は基本的に一過性のもので健常な患者では問題になりませんが、元から血圧や心拍数が高い症例などではリスクも高くなります。
第3章 HIGH PRESSURE
下の図1はエピリド注の添付文書の一部です。高血圧などの疾患を持つ症例では原則禁忌と記載されています。これは他の製品でも同様です。とは言え、2012年の調査では20歳以上の日本人男性の50%、女性の40%が高血圧ですから、高血圧だから局所麻酔をしないという訳にはいきません。アドレナリンの使用を忌避するあまりに局所麻酔が不十分になれば、疼痛や精神的ストレスによって内因性アドレナリンが増加し逆に危険な状況を引き起こしかねません。可能であればバイタルモニターを装着し、循環動態を監視しながら慎重に局所麻酔を行う必要があります。
また、歯科治療、特に局所麻酔に際して、患者さんの不安や緊張から内因性のカテコラミンによっても血圧が上昇します。健常成人では問題にならなくても高血圧患者では影響が大きくなります。信頼関係を構築して緊張を緩和し、声掛けや表面麻酔で不安や疼痛を和らげると言った基本的なことがより重要になって来ます。
下の表2は、高血圧の重症度分類と安全に使用できるアドレナリン配合の歯科用局所麻酔薬カートリッジの数です。心疾患についても記載してあります。WHO1期~2期とは、180/110未満ですね。収縮期・拡張期のいずれかがこの数値を超えていればWHO3期の高血圧となります。NYHA分類については表3を参照してください。ややこしい心疾患の重症度をかなり分かりやすく分類しているので頭の片隅に入れておいていただけると良いかと思います。Hugh-Jonesの分類や狭心症の重症度のCSS分類などもありますが……。
β遮断薬(メインテート、テノーミンなど)は後述の心房細動の項目で触れますけれど、重症高血圧でも処方されていることがあり、アドレナリン配合の局所麻酔薬は使用量を大きく制限されます。またα遮断薬が投与されている場合、逆にβ作用が強く出ますのでアドレナリンの使用で血圧が急激に低下する場合があります。これをアドレナリン反転と言います。αβ遮断薬と言う合わせ技もありますのでご注意を。
表2の通り、重症度によってアドレナリン配合の局所麻酔薬は2本以内、または1本以内と大きな制限を受けます。こんな量じゃ足りない、と言うケースではアドレナリンを配合していないシタネストオクタプレシンやスキャンドネストを併用する訳ですが、シタネストオクタプレシンに配合されているフェリプレシンには冠動脈収縮作用があることを忘れてはいけません。狭心症や心筋梗塞などの症例では、シタネストオクタプレシンもまた使用量の制限を受けます。また、シタネストオクタプレシンは添加物としてメチルパラベンを含有します。比較的アレルギーが多い物質ですので注意を要します。
別の方法としてカートリッジ製剤のアドレナリンを希釈する方法があります。実は局所麻酔薬のアドレナリンは1/20万程度の濃度でも十分な効果を有します。アドレナリンを配合していない2%リドカイン製剤(医科で使用されるポリアンプ製剤など)を用いて2倍に希釈すれば2倍の量を使用できる計算になります。希釈の方法は知らないと難しいかも知れません。文字で説明しても分かりにくいですが、カートリッジの中身を半分捨ててから、ツベルクリン用の針付き注射器などで2%リドカインを先端側から注入すると良いです。
第4章 LEVEL 4
アドレナリンの使用に際し注意を要する高血圧以外のケースについて簡単に見ていきます。これが全てではありません。あくまで代表的なケースです。
糖尿病
アドレナリンは血糖値を上昇させます。とは言え加療されていればそこまで気にする必要はありません。ただ、糖尿病は進行すれば全身の血管を障害する疾患です。各組織の血流を悪化させると同時にアシドーシスで臓器機能を障害します。重症例では隠れた合併症や機能低下を警戒する必要があるのです。また血流障害により、注射の刺入部位が潰瘍になったり、手術層が治癒不全を起こしたりするリスクがあります。
甲状腺機能亢進症
アドレナリンは甲状腺機能更新を増悪させるので、コントロールされていない甲状腺機能亢進症の症例では極力使用せず、加療されているケースでも使用量を少なく抑えましょう。コントロールされていない甲状腺機能亢進症は局所麻酔や歯科治療の有無にかかわらずリスクが高いので、歯科治療をしている場合ではないとも言えますが。
高齢者
高齢者は成人に比べ薬剤耐性が低く、全身疾患を有す場合が多く、多剤服用で複雑な相互作用に考慮を有することも少なくありません。全身状態や常用薬を詳細に確認する必要があります。
妊娠
妊娠は歯科治療や投薬の禁忌症例ではありません。不必要に警戒し必要な治療や投薬を行わない方が、かえって患者の苦痛とリスクを増大させてしまいます。アドレナリン配合のリドカイン製剤は通常量であれば健常成人と変わらず使用できます。フェリプレシンには子宮収縮作用がありますので、シタネストオクタプレシンの使用は避けるべきです。あれ?アドレナリンの話じゃなくなっちゃいました。
心房細動
心房細動のみではそれほどリスクの高い状態ではありません。しかしβ遮断薬、ワーファリン、ジギタリス製剤の投与、ペースメーカーの埋め込み手術がなされていないか確認する必要があります。
メインテート(ビソプロロール)などのβ遮断薬常用患者では、表2にもあったようにアドレナリンの使用量が大きく制限されます。ここでアドレナリンのα作用、β作用を復習しておきましょう。表4を参照してください。
アドレナリンの受容体には主にαとβが存在し、それぞれにサブタイプがあります。β遮断薬常用患者では投与されたアドレナリンのβ作用が抑制されるため、α作用が強く発現します。その結果著しい血圧の上昇を起こす危険性があります。β遮断薬は心房細動以外にもその他の頻脈性不整脈、高血圧、緑内障、気管支ぜんそくなどで処方されていることがありますので注意しましょう。
ワーファリンはアドレナリンと言うよりも止血困難が問題になりますが、アドレナリンの使用量が制限されている状況ではなおさら止血に難渋するでしょう。
ジギタリス製剤は心筋細胞内のカルシウムイオン濃度を上昇させて心収縮力を高める薬剤で、心不全や一部の心房細動の治療に使われますが、安全域が狭く副作用の出やすい薬でもあります。アドレナリンとの相互作用で不整脈が生じやすくなります。また、NSAIDsのジクロフェナクナトリウム(ボルタレン)やインドメタシンの投与もジギタリスの血中濃度を上昇させる可能性があります。
低血圧・徐脈
重症高血圧や心疾患を併発している症例では、治療の結果として低血圧や徐脈になっている場合があります。コントロールがついていて安心……ではありません。血管迷走神経反射など、何かの拍子にそれ以上に下がってしまったら、心停止してしまうかも知れません。全身状態や常用薬を確認し、外科処置に先立っては主治医に対診を行うべきでしょう。または大学病院などの歯科、口腔外科に紹介してください。
第5章 HOT LIMIT
循環器疾患を有する患者など、リスクの高い症例ではバイタルモニターを装着してバイタルサインを監視しながら局所麻酔や治療を行うことが望ましいでしょう。歯科治療中は血圧が160/100を超えないことが望まれます。これを超えるようなら治療を中断し、安静にして経過を観察します。場合によっては治療の延期、救急対応、救急搬送などの対応を行います。心拍数(脈拍数)も重要なバイタルサインです。心臓の筋肉に血流を提供する冠動脈の内、左冠動脈は収縮期には血流が無く、拡張期にのみ流れます。心拍数の増加は心筋の酸素消費量を上昇させるとともに拡張期を短縮し左冠動脈の血流量を低下させてしまうので、狭心症発作などのリスクを跳ね上げます。
RPP (rate pressure product)を12000未満に保つと言う指標に関しては探してもエビデンスが見当たらないのですが、簡易的に循環リスクを管理する指標として有用であると思われます。(追記;SNSで情報を頂き金子譲先生の1990年のテーマ研究まで行き着いたのですがそれも原典ではなく、RPP12000未満の大元の研究探しはそこで一旦終了することにしました。)
第6章 OH MY GIRL, OH MY GOD!
その他、アドレナリンに関連して注意すべきことはまだまだあります。嫌になっちゃいますね。
局所麻酔薬に配合されているアドレナリンの量を気にしていても、手術中にボスミンを使ってしまったらどれだけのアドレナリンが血中に入るか分かりません。局所麻酔の時にはアドレナリンの使用制限を守っていたのに、うっかりボスミンガーゼを使用してしまった……なんてこと。実際にあります。
コントロールされていない疾患は治療中の疾患よりもはるかに危険です。患者さんの
「病気したことない」
なんて言葉を鵜呑みにしてはいけません。治療を受けていないだけにコントロールされておらず、患者自身に病識が無くても実際には重症と言うことは少なくありません。怪しいと思って血圧を測ってみたら210/120を超えていたとか、血糖値が600を超えていたとか、私が実際に経験した症例だけでもいくつもあります。
また、治療を受けている症例の中には、治療によるコントロールと重症度とを混同している患者さんも居ます。何種類もの降圧剤を常用していて明らかに重症なのに、
「血圧全然高くないから薬も要らないと思うんだけどね」
なんて言っちゃったりします。血圧高くない人がこんなに降圧薬飲んでたらぶっ倒れますよ……。そんな患者さんは、実際気軽に薬を止めてしまったりします。
「今日は抜歯だから薬飲まないで来たよ」
などと言われてしまった日には処置を延期せざるを得ないことも。あ、いえ、ただの実話です。
最後に、局所麻酔薬の保存について少しだけ。
歯科用局所麻酔薬カートリッジに配合されているアドレナリンは、(ゴム栓の存在下で)紫外線や高温によって分解されてしまします。冷暗所で保管しましょう。
シタネストオクタプレシンを置いている歯科医院は意外と少なくないと思いますが、使用期限を過ぎているのを何件かのクリニックで見掛けました。リドカイン製剤に比して使用頻度が極端に低いためでしょう。使用期限の切れた薬剤は当然のことながら患者さんに投与してはいけません。
終章 Wheel of fortune
実に長々と書いてしまいました。もし全てお読みいただいたなら暇なn感謝の念に絶えません。皆様の診療が安全で平和なものでありますように。
参考文献
上顎浸潤麻酔における14C一リドカイン動態に及ぼすアドレナリンの効果,安田麻子ほか,日歯麻誌 2011,39(1),1-12
局所麻酔薬に含有されるアドレナリンによって誘発された促進心室固有調律にリドカインが有効であった1症例,小野あゆみほか,麻酔2018;67:414-417
ドネペジル塩酸塩内服認知症患者における アドレナリン添加局所麻酔薬による一過性の血圧低下,杉原裕子ほか,日歯麻誌 2017,45(1),13
アドレナリン添加局所麻酔薬の少量使用時に再現性のある血圧低下がみられた抗精神病薬服用患者の1症例,山口千尋ほか,口歯麻誌 2016,44(2),159-161
歯科麻酔学第8版,医歯薬出版株式会社,2019
歯科におけるくすりの使い方2019-2022,デンタルダイヤモンド社,2018